瞑想は、一人でもできます。
静かな場所さえあれば、座ることはできる。
けれど実際には、続かない。
あるいは、座っていても、どこか曖昧なまま終わる。
それは意志が弱いからではありません。
私たちは、日々のことに忍耐できてしまうからです。
ボディケアをしていると、身体はいつも正直だと感じます。
その人の状態を、そのまま映し出している。
けれど本人は、案外それに気づいていない。
疲れも、違和感も、緊張も、「まだ大丈夫」とやり過ごすことができてしまう。
人は、耐えられる。
そして、耐え続けてしまう。
そのまま進めば、身体か心のどちらかが、先に休止することもある。
だからこそ、日々、自分の状態を知る時間が必要なのです。
瞑想は、特別なものを視ることが目的ではなく、いまの自分を、誤魔化さずに見ること。
それだけです。
もちろん、継続していくことで、特別な瞬間を体験することもあるでしょう。
けれど、それが目的ではない。
一人で座ると、都合よく解釈してしまうこともある。
曖昧に流してしまうこともある。
だから、最初は伴走が意味を持つ。
瞑想に慣れた人と、ただ一緒に座る。
評価も、指導も、押しつけもない。
けれど、曖昧さは通り過ぎない。
整うとは、完璧になることではありません。
自分の現在地を、正確に知ること。
その繰り返しが、静かな強さを育てていきます。
いま、個別という形を選んだのは、その精度を大切にしたいからです。
静かに座る。
そして、誤魔化さない。
それだけで、十分だと思っています。
そして、自分を知ることは、ケアした身体を長く保つことにもつながっていくのかもしれません。

